

3月16日からスタートした『温かい食事を被災地に届ける活動』
5/1〜7、6回目の今回は私、ヒルマン佐藤が出向きました。
活動を行った地域は宮城県登米市と南三陸町です。
当初一人で活動を行なう予定でしたが、
友人のマイクのシャワープロジェクトチームと合同の活動に変更。
マイク達のチームは愛知県から大量の生野菜の支援物資も運びます。
借りた4tトラックには
渥美半島の野菜キャベツ50ケースチンゲンサイ30ケース、トマトとその他の野菜沢山、シャーワープロジェクトの機材、発電機、300リッタータンク、ポリタンク20個、自転車15台、マルチシェイド段ボール大4箱(株アイズ提供)、生卵1600個(都路のたまご提供)
私の車は、1600食の食材や調理器具他が満載、出発当日は仕事で他のイベントをこなしかたずけ、1時間だけ仮眠。
一人で準備積み込みですから2時間みっちりかかります。
現地までスムーズに行って移動して12時間はかかりますから、かなり追いつめられた気分だったので、
マイク達からドライバーを一人出してもらえる話になりかなり気持ちが楽になりました。
なにしろ翌日の5/2には夕食300人前の予定が入っていますから15時には確実に到着しなければなりません。
今回の活動は前回偶然、原が知り合った西條さん(登米市物産協会)の後援での炊き出しです。
西條さんは支援の届きづらい避難所へ物資や水を運び続けている、現地の状況を知る人物です。
ベース基地に西條さんの自宅を開放してくださいました、感謝!
マイク達シャワーチームは野菜や水の運搬、新たに避難先になる建物の片付けその他をこなし
私達炊き出しチームは11カ所の避難所で1300食の炊き出しを行ないました。
(鱒渕小学校、嵯峨立小学校、津山若者体育館、登米公民館、志津川海洋青年の家、津の宮荘、寺浜公民館、米山ゆうゆう館、他)
私は今回初めて津波の被害の現状を自分の目で見て、その甚大な被害と自然の驚異に言葉を失いました。
そして被災した方々や支援活動を行う地元の活動家の方々とお話をしましたが、
未だ復興と言うレベルでは無い状況に感じました、おにぎり一つとか、おかずの無い生活からは脱しつつあるようですが
インフラが整っていない避難所も多く、今までして来た普段の生活からとはほど遠い状況です。
炊き出しを通して沢山の笑顔に会う事は出来ましたが、実際そのストレスはとても大きい事でしょう。
先祖代々自分たちが生業を起てて来た土地への感謝と愛着、集落の人々の絆。
管理する上で生じた行政の支援格差を生む体制。
これからの仮設住宅での問題、まだまだ続く避難所生活、支援する側される側の心構え、様々心のケア、
急がねばならぬ事、ゆっくり慎重にしなければならない事。
問題は山積みだし、全てを把握する何て無理な話。
メディアに踊らされたのかのような、気持ちが先走ったゴミになった無駄な支援や
実力に伴わない炊き出し支援で被災者に苦痛を与えるような悲しい支援の話も聞こえてきました。
地域、各避難所で状況には差があります、出来るだけ本当に求められる支援をしたいものです。
私的には前回とでは、かなり気持ちが変わりました、たとえ一人で出向いてもお料理だけで元気になってもらえれば充分だと
思っていましたが、前回同様一人で活動する予定がサポートのメンバーが増えた事で
とても一人ではなし得ない、ふれあいや楽しさがあふれた炊き出しになりました。
最初に伺った、避難所では初老の男性が涙を流しながらお礼を言ってくださいました。
きっとあの涙には色々な意味があるのでしょう、、、。
次回私は6月に活動を予定しております。
そしてすでに原は3000食を用意して5/11から福島県会津で炊き出しを終え南三陸で活動をしています。
※私達は次なるステージ、食に限らず先手の支援を現地と連携を取りながら常に考え行動しています。
※炊き出しできる料理人のチーム募集です、サポートします。
☆応援支援してくださった方々に感謝致します、引き続きのご支援宜しくお願い致します☆
写真が多いのでfacebookのフォトアルバムでご覧下さい。
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