8月6日 広島の生き残りより。

ヒルマン佐藤

2011年08月06日 05:39


私の友人であり師でもある『黒田レオン 』氏より届いたメールを皆様に。



本日仕事終了後、深夜1時
仲間7人で700食を用意し石巻、南三陸に炊き出しに出かけます。
10日の朝に戻ります。

震災から5ヶ月避難所や支援団体の解散、状況は変化しています。
今出来る事、より良い支援をしてきます。

支援して頂いた方々、応援してくださっている皆様に感謝いたします。

以下黒田レオン 氏よりのメール。







だんだん死に絶えて、残り少なくなったヒロシマの生き残りの、
黒田です。

このメッセージを、みなさんにお読みいただくことを、ご容赦く
ださい。

2011年08月6日になりました。
あと何時間かで、66年目の、あの0815時が来ます。

あの日は、雲ひとつない青空の、暑い朝でした。
突然、ピッカーッと来て、もの凄い音とも振動とも言いようのない
瞬間があり、耐えられないほど熱い爆風とともに、世の中は真っ
暗になり、地獄が始まりました。
影だけを残して、燃え尽きたヒトがいました。
瞬時に、ヒトは炭になりました。
眼球が飛び出て、ぶら下がったまま、ヒトが何人も歩いていました。

これが、人間が、人間に対してした仕打ちです。

爆心地の直下で、勤労動員のため工場にいたはずの、中学1年
生の兄(と言っても、母の弟ですが)が帰ってこないので、それから
3日間、私はとことこ歩いて、朝から晩まで、爆心地付近を探し回
りました。
そこら中のものを、ひっくり返し、もちろん死体も。
裂けた水道管からあふれる水を、がぶがぶ飲みました。
もしそこに食べものが転がっていれば、躊躇なく食べたでしょう。

後に、原爆の被害調査のために、広島に駐留していた米軍の医
師から、ふつうなら10回でも何十回でも死ねる被曝線量で、生き
ているのが奇跡だと言われ続けました。

今年は、フクシマがあって、特別な8月6日になりました。
私たちが、「核」とどうつき合うかを、深く考えさせられる日になりま
した。
私たちは、0815時に黙祷しながら、祈るだけでなく、否応なく考え
ることになりそうです。

原子力発電が、平常時にしかコントロールできないものであること
は、今回誰にでもよくわかりました。
制御不能になった原子力発電所が、原爆より始末に終えないもの
であることも、よくわかりました。

はたして、核の平和利用というものがありうるのでしょうか。
もしかすると、放射線治療やアイソトープ治療なども、生体の悪玉
細胞を狙い撃ちにする手法そのものが、一個の生物種にすぎない
ヒトに、許されていないものなのかもしれないと思います。

私たちが到達した技術水準などというものは、私たちの想像力の
範囲の中でだけ、機能し、コントロールできるにすぎないと、私は
考えるようになりました。
自然界の不思議に比べれば、人為など、何ほどのものだろうかと、
つくづく思います。

自然をコントロールしようとする愚かさを、フクシマは、笑い飛ばして
見せたような気がします。

世界中のこどもたちの未来と希望のために、黙祷して考えましょう。

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